はじめまして。
黒龍(こくりゅう)と申します。
この記事では、
僕がどんな人生を歩み、
なぜ今この場所に立っているのかを
はじめての方に向けてお話しします
まあいきなりこんな話をされても、
「で、あなたは何者なんですか?」
そう思う方がほとんどだと思います。
なので、
最初に具体的に何をしているのかだけ
簡単にお伝えします。
現在は
・裏方でコンテンツビジネス(無形商材)のマーケティング業
・情報商材屋のクロージング代行(本当に縁のある方のみに絞ってます)
・自社で無形商材の販売、コンサルティング、オンラインコミュニティ運営
という形で年間1.6億円以上の売上に関わる仕事をしている
1人社長って感じですね。
ただ私はいわゆる「表に出るキラキラ起業家♪」ではありません
むしろ表に出ない仕事の方が圧倒的に多い
完全に怪しいレアキャラです(笑)
おそらくあまりSNS上では出てこない人間だと思います。
私の仕事はシンプルで、
・コンテンツビジネスの裏方プロデュース
・個人・小規模事業者向けの営業・セールス支援
・オンラインビジネスにおける0→1、1→10フェーズの仕組みづくりのサポート
いわば
「コンテンツ作る人」
「WEB上で商品を売る人」を後ろから支える
縁の下の力持ち的な存在です(自分で言うな)
その結果として、
複数ジャンルのプロジェクトに関わり
コンテンツビジネスの部分では、
・私自身が3ジャンルで月収7桁以上の収益が発生したり
・裏方として入らせていただいたクライアント様が、
月収数十万円から月収100万円を超える一人社長に進化
また、営業の領域では
私個人の実績になりますが
・営業代行として月2,400万円以上の着金
・平均成約率は約52%
・営業単体の個人売上ベースでは年間2億円超え
すべて、実案件ベースの数字です。
個人の利益ベースで言うと
・自社商品の販売
・裏方のマーケター
・クロージング代行の利益
この3軸で月間300万円〜1000万円を
ありがたいことにいただいているという状態ですね。
ただこれをよく見るインフルエンサーみたいに
「すごいでしょ」と自慢したいわけではありません。
なぜなら私はもともと
ビジネス向きの人間じゃなく
むしろビジネスとは無縁の生活を過ごしていました。
ですのでここからは
私の過去〜現在に至るまで
お話しさせていただきますね
「夢があったのに、何者にもなれなかった側」の人間だった
私は1998年生まれ。
今年で28歳になります。
大学4年生のときに起業の世界に足を踏み入れ
気づけば5年が経ちました。
ですがそれ以前の僕は
ビジネスとはまったく無縁の人間でした。
正直に言うと、「将来どうやって稼ぐか」
なんて一度も真剣に考えたことがありませんでしたね。
なぜなら
「私はスポーツだけやっていれば生きていける!」
そう信じ切っていたからです。
結構これを言うと驚かれるのですが
実は私、
とある競技でオリンピック候補までいった人間です。

(左側が私です)
高校2年生のときはインターハイで優勝し
3年生の時はキャプテンとしてチームを束ね
インターハイは3位。
表彰台で金メダルを首にかけられた瞬間
私は確信したんです。
「これが俺の人生のすべてだ」と。
その後全国大会でMVPを獲り
ユニバーシアード代表、
U-20日本代表
アジア大会優勝。

(右が私です。高校生の頃にインターハイ優勝した時の写真)
当時の私の世界観としては
スポーツがすべてでした。
朝起きて、練習して、食事して、練習して、寝て、また練習。
「俺はこのスポーツという道で飯を食っていくんだ」
ということを小学生の頃からずっと考え続け
それ以外の選択肢は
本当に一ミリも考えていなかったんです。
しかし現実は容赦ありませんでした。
その私の人生を大きく変えた出来事が
『東京オリンピック落選』です。
これが私にとって
ある意味人生の分岐点でしたね。
オリンピック落選というたった1つの出来事で
私の人生は一度ピタッと止まりました。
というのも当時、
同世代で一度も負けたことがなかった同期がいました。
試合では勝ってきたし
実績でも私の方が遥かに上。
むしろ周囲の選手や関係者からは
「当然お前のほうがオリンピック行くだろ笑」
そう言われていたくらいです。
しかしながら、一度も負けたことがなかったその彼が、
東京オリンピックに選ばれたんです。
知らせを聞いたとき
感情は不思議なほど動きませんでした。
悔しい、というより、
悲しい、というより、もう何も感じなかったんですよね
ただ、頭の中がスーッと真っ白になり
体の芯から力が抜ける感覚だけが残りましたね。
そして、私は彼に言いました。
「おめでとう!!!!」
ちゃんと目を見て。
ちゃんと笑って。
ちゃんと祝福したつもりでした。
でも内心は「クソが、なんで俺じゃないんだよ。なんでなんで、、、、」
みたいに味わったことない感覚で
感情がグッチャグッチャでしたわ。
悔しいのか、悲しいのか、情けないのかなんなのか
全くわからん感覚。
でもあとから、じわじわ来ました。
「あー俺ってここまでだったんだな」
「結局俺の人生、何者にもなれずに終わりなんだ」
一番きつかったのは
ライバルの彼に負けたことじゃありません。
努力が報われなかったことでもない。
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「この先、俺は何者として生きればいいんだろう」という問いに、
何ひとつ答えが出なかったことです。
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私は幼少期から
家族との時間も、
高校時代の青春も、
娯楽も、
全てを捨てて覚悟を持ってスポーツに打ち込んできました。
全てはテレビで見るような
本田圭佑、大谷翔平、八村塁
彼らのような栄冠を手にしたくて
幼少期から全てをかけて全てを捧げてきたから。
なんなら高校の修学旅行にも行ってません。
みんながハワイへ修学旅行に行ってる間も
私は淡々と練習していたくらいですからね。
そのスポーツに命をかけてた人間が
それを失ったとき、
残るのは、巨大な虚無感となんとも言えない空白感だけでした。
肩書きもない。武器もない。誇れるものもない。
あるのは、「夢があった過去」だけ。
周りはみんな前に進んでいく。
オリンピック。
引退後のセカンドキャリア。
指導者。
安定した道。
その横で、
私だけが取り残されている感覚が、苦しくて仕方なかったです。
あの頃の私は、
「夢を追っていた人間」ではなく
「夢があったのに、何者にもなれなかった側」の人間でした。
そしてこの喪失感が、
私を起業の世界へ向かわせます。
それは、挑戦なんかじゃありません。
生き方を見失った人間が、必死にしがみついた選択肢でした。
起業を選んだ理由は、夢でも覚悟でもなくただの「不安逃れ」だった
オリンピックを逃したあと
私はまだ大学4年生でした。
周りは当たり前のように
就活の話をしていて説明会だ、
エントリーだ、
内定だ、
と騒いでいました。
でも正直
その輪の中にいる自分がまったく想像できなかった。
スーツを着て、
志望動機を考えて、
面接で自分を売り込む。
「あなたは何ができますか?」
そう聞かれたとき
頭に浮かぶのは”競技の話”だけ。
でもそれは、もう終わった話。
オリンピックに行けなかった元アスリート。
それが、社会に出た瞬間、どれだけ価値があるのか。
正直、まったく分からなかったです
しかも、時代はコロナ。
説明会はオンライン。
先輩たちは内定取り消し。
ニュースでは「この先どうなるか分からない」
そんな言葉ばかりが流れていた。
このときの私は、
・夢はへし折れている
・就職の自信もない
・将来のビジョンもない
ただ不安だけを抱えた
どこにでもいる大学生でした。
だから、「就職しないで生きる道」という言葉が
異様に魅力的に見えた。
起業。
フリーランス。
個人で稼ぐ。
今思えば、中身なんて何も理解してなかったですね。
ただ、
「ここなら、今までの人生をなかったことにしなくて済むかもしれない」
そう思っただけでした。
そして私は、
最初の一歩として
WEBビジネス高額塾に50万円を払いました。
大学生にとっては、かなり大きな金額です。
しかもその50万円は、母親に土下座してもらった金でした。
「お願いします。これが最後のチャンスだから」
俺は母親の目を見ながら、そう言いました。
母親は何も言わず、
ただ頷いて、
お金を用意してくれた。
当時ネット系の詐欺も多く
今以上に怪しいと言われていたインターネットビジネスをやる
ということに対しても
「お前なら、きっと大丈夫」
そう言ってくれた母親の顔が
今でも忘れられません。
思い出すと泣けてきます笑
きっと母も怪しいと思いつつ
私の悔しさを陰で理解してくれ
そして信じてくれてたんだろうなって。
そう思うと今でも目頭が熱くなりますね。
で、振込画面を開いたとき、
手が震えていました。
初めて50万円という大金を扱ったもんですから。
「確定」ボタンを何度も押し直して
ようやく押せた。
その夜、私は一睡もできませんでした。
母親がこんな私に期待してくれた。
その期待を裏切るわけにはいかない!
「これで変われなかったら終わり」
そのくらいの気持ちで、覚悟を決めて払いました。
でも、その”学びの場”は、
今振り返ると完全にマルチ商法でしたね。
当時は気づかなかったですが、、、
・夢を語る大人
・成功者のストーリー
・「環境が大事」という言葉
全部、競技しか知らなかった僕には
やたら正しく見えたので。
「ここでもう一回、人生を賭ければいい」
オリンピックでできなかったことを
ここで取り戻せる気がしていた。
そして私は
その”コミュニティ”で教えられたことをそのまま実行しました。
SNSでは「フリーランス最高!」とツイートしながら
カフェでパソコンとコーヒーの写真を撮り
ひたすらアップする。
で、フォロワーに怪しいDMを送りまくって
電話のアポを取って
師匠に繋げる。
入ってきた教え子も、同じことをやる。
完全にねずみ講みたいな構造でした
セミナーでは、金持ちアピールをしなきゃいけなかったですし。
高級ホテルのラウンジで撮った写真。
「自由な生活」を演出するための投稿。
全部、やらされていた。
でも、稼げない。
仕組みも分からない。
質問しても、返ってくるのは精神論ばかり。
「行動が足りない」
「本気じゃない」
「環境を信じろ」
気づけば、お金だけが消えていく日々でしたね、、、
「俺、また同じ失敗してる」
オリンピックのとき、
私は「努力すれば夢は叶う」って信じてた。
でも、現実はそうは甘くなく
起業でも、「頑張れば稼げる」って信じてた。
でも、また違った。
どっちも、”頑張る方向”を間違えてたんです。
競技の世界では、才能と結果がすべて。
起業の世界では、知識とどのビジネスを行うかがすべて。
私は、そのどっちも理解しないまま、
ただ闇雲に走ってた。
結局、会社員として働くのと何も変わらなかった。
誰かの指示通りに動いて
誰かのために時間を使って
それでも稼げない。
でも、ここでやめる選択は、私にはできませんでした
なぜなら、もう戻る場所がなかったから。
就職もしていない。
競技にも戻れない。
親にはこれ以上迷惑をかけられない。
友達には絶対に理解されないと思ったから
相談もできなかった。
同じスポーツのチームメイトとは深い関わりがあったけど
路頭に迷ってる感を出したくなかった。
手元に残ったのは、減った通帳と、増えた焦りだけ。
飲食店でバイトをしながら
親の仕送りで何とか生活していました。
そんなある日
コンテンツビジネスで成功しているっぽい人からDMが来ました。
「発信内容見てます。才能ありますよ」
当時情弱すぎた私は
「俺、すごいかも?」
そう思ってしまった。
マルチで稼げなかった俺を誰かが認めてくれた。
その言葉が、異様に嬉しかったんです。
で、そのまま電話をする流れになり
セールスされました。
「80万円のコンサルです。
でも、黒龍さんなら絶対に回収できます」
そう言われて私は
「ちゃんと学ぼう」
そう決めて、
私はリボ払いで申し込むことにしました。
もう流石に親には借りることはできなかったので
部屋でクレジットカードを3枚作りましたね。
で、コンサルの申し込み画面を開いて
手が震えていました。
まさか自分がこんなに借金を抱えるとは思っていなかったから。
でも、今度こそ成功したい。
今度こそ報われたいって気持ちが強かった。
ホント、藁にもすがる思いでした。
そして決済の「確定」ボタンを押しました。
ただなぜか希望に感じてましたね。
「今度こそ、本物を掴める」
「成功している人だから今度こそは間違いないだろ」
そう信じたかった。
しかし、、、
ここからが、本当の地獄の始まりだったんです。
80万円のコンサルで学んだのは『業界の闇だ』った
50万円を失っても
私はまだ「自分が悪かっただけ」だと思っていました。
だから次はちゃんと結果を出している人から学ぼう。
そう決めたんです。
当時、私が選んだコンサルタントは
私よりも年齢が2つ下。
20歳の大学生の起業家でした。
コンテンツビジネスで
月収300万円ほどと公言していて
影響力も結構持ってた方でしたね
「同じ学生なのに、すごいな!」
正直、そう思ってましたよ。
年下ということに抵抗はなかった。
むしろ、
「年齢関係なく、結果出してる人から学ぶべきだろ」
そうやって、自分を納得させました。
金額は80万円。
もちろんリボ払い。
これでダメなら、もう後がない。
これが最後の自己投資だ。
そのくらいの覚悟でした。
最初は期待していました。
「今度こそ、ちゃんと見てもらえる」
「やっとまともなビジネスを学べる!」
でも、すぐに違和感が出てきます。
「とりあえず動画1時間くらい撮っておいてください〜」
「それ見てからフィードバックしますね」
「とりまこれマインド教材っす〜」
言われた通り、部屋の机で、必死で動画を撮りました。
渡されたマインド教材についてのアウトプット。
「これでいいのかな…?」
正直、不安でした。
でも、すごい人だし、きっと意図があるんだろう。
そう信じて、撮り終えました。
でも、
「ちょっと待ってください」
と言われたまま、1週間が経過。
その間、何の連絡もない。
僕は毎日、スマホの通知を待っていました。
バイト中も、気になって仕方なかった。
渡されたマインド教材を何度も反復して、ただ待っていた。
友達には相談できなかった。
だって「コンサル受けてる」なんて言ったら、
怪しいと思われるし、バカにされると思ったから。
「やばいやつ」って思われるのが怖かった。
こちらから連絡すると、
「もう少し待ってください」
それだけ。
そして10日後に返ってきたLINEの文面は、
「うーん、いいと思います」
「もっと量こなしていきましょう」
「ん?いいのか?」
おい、だいぶ待ったのに軽すぎんか?
正直そう思ったけど、黙っていました。
具体性はゼロ。
てか適当すぎてわろてもうたわ(笑)
で、若干不安要素もあったので
他のコンサル生とも繋がり
少しずつ話すようになりました。
グループチャットには
みんなが近況報告をしていた。
でも、誰一人、収益化していませんでした。
コンサル生は20名ほど。
伸びている人は、一人もいない。
「これ、本当に大丈夫か?」
「やはり指導内容が薄いから、俺も無理なんじゃないか?」
絶望しました。
それでも指示は同じ。
・とりあえずメルマガ書いて!
・とりまブログ書いて!
・動画撮ってください
そして、安定の放置。
まあそれでも半年ほどは続けました。
でも当然、何ひとつ結果は変わらず収益は0のまま。
成果も出ない。修正もない。方向性もない。
そして気づけばグループチャットから、
コンサル生がどんどん抜けていきました。
「〇〇さんがグループを退出しました」
「△△さんがグループを退出しました」
その通知が、毎週のように流れてくる。
実際に指導内容を聞いてみたけど
まともなフィードバックや指導を受けてる人はいなかった。
みんな放置されてて
別のコンサルを受けた人がほとんどだった。
最終的に
そのコンサル生たちは全員グループを抜けたと聞きました。
あとから知ったことですが
経歴詐称も普通にしていたらしい。
実績の見せ方も、今思えばかなり黒かった。
でも、一番キモかったのは、
コンサルは適当なのに、自分は稼げてるアピールをしまくってたこと。
お客様のお金で
ブランド品を買いまくって、SNSに投稿しまくってた。
「ガチでやってることがキモい」
そう思いました。
このとき、僕の中で何かがはっきりと見えました。
「ああ、この業界、思ってる以上に黒いな」
有名な発信者。実績が派手な人。
そういう人に頼めば安心だと思っていた。
でも現実は逆だった。
実績で人を選ぶのは、本当に危険なんだ。
そう痛感しました。
一番ショックだったのは、
お金を失ったことじゃありません。
「真剣に学ぼうとした自分」が
バカにされた気がしたことです。
オリンピックを逃し、
起業でも迷走し、
今度は業界の闇を知る。
「俺はどこに行っても、報われない側なんだな」
そんな思考が、頭を支配しました。
でも、このとき初めて、怒りが湧いてきました。
悲しみじゃない。悔しさでもない。
「もう、いい加減にしろよ」
ここで、ようやく腹が決まりました。
「もう誰かに期待するのはやめよう」
「自分で検証して、自分で確かめよう」
スポーツの世界では、結果がすべてでした。
再現性があるか。型があるか。誰がやっても通用するか。
それがなければ、評価されない。
ビジネスも同じはず。
そう思って、私は完全独学に切り替えます。
「なぜ稼げてるのか?」
もう誰も信じない。
だから、自分の目で確かめることにした。
結果を出している人の発信を、片っ端から追いかけました。
無料プレゼントは全部受け取った。
メルマガに登録して、毎日読んだ。
ノートに書き写して、写経もしまくった。
でも、私が見ていたのは「内容」じゃなかった。
「なぜこのタイミングで、この話をするんだろう?」
「なぜここで、無料プレゼントを出すんだろう?」
「なぜこの順番で、メールを送ってくるんだろう?」
俺が知りたかったのは、裏側の構造だった。
内容じゃなくて、意図。
ノウハウじゃなくて、設計図。
販売の動線を図に描いた。
どこで集客して、どこで信頼を作って、どこで売るのか。
自分なりに仮説を立てて、マネしてみた。
購買意欲を高めるためには、どうすればいいんだろう?
正直、闇雲だった。
失敗もしまくった。
でも、ようやく自分の足で歩き始めることができた感覚はありましたね。
誰かの指示じゃなく、自分の頭で考えて。
誰かの期待じゃなく、自分の仮説を検証して。
この感覚が、競技をやっていた頃に戻った気がした。
自分で考えて、自分で試して、自分で修正する。
それが、唯一の道でした。
貯金700円、彼女のヒモになりつつも営業で人生逆転
「もう誰も信用しない」
そう決めてから
私は完全に一人で動き始めました。
毎日、朝から晩まで勉強しました。
教材、ブログ、メルマガ、動画、海外の情報。
正直、何が正解かなんて分からなかったです。
でも、止まるのが一番怖かった。
そして試行錯誤を繰り返して
ある月、ようやく結果が出ます。
1月。新潟のクソ寒い部屋。
商品をリリースしたら、
「買いたいです!」って人が出てきた。
決済リンクを送って、決済してもらった。
50万円。
当時の私にはデカすぎる金額を得ることができたんです。
でも、あのときは声も、心も、震えました。
「よっしゃあああ!!!!」
「やっと…やっとだ…」
一人で部屋で、ガッツポーズした。
「間違ってなかったんだ」
「これで成功できるんだ」
オリンピックを逃してから、
初めて「自分で掴んだ結果」でした。
嬉しかった。
本当に嬉しかった。
でも、現実は甘くなかった。
翌月、同じようにやっても伸びない。
次の月も、数字が安定しない。
100万円に近づいたと思ったら、一気に落ちる。
「え、なんで?」
めちゃくちゃ焦ったし
ええなんでだよおおおって。
だって、よく情報発信者の
ブログとかSNSで見るのは
「一度結果出したら、とんとん拍子でうまくいって、自由に過ごしてます〜」
って人ばかりだったから。
「なんで俺だけ…?」
これ上手くいき続けて
成功するパターンちゃうんかいって。
なので勉強は継続しつつ仕事はしまくったけど
気持ちは落ちまくりましたよ。
そして気づけば、生活はどんどん苦しくなっていました。
収益は不安定で、無収入の月が続いていき、
とうとう貯金口座は700円。
こういう状況だったので
恥ずかしながらも当時の彼女、今の奥さんに、
正直、養ってもらっていました。
そんな状況でも
「あなたなら、できるよ」
彼女はそう言って、応援してくれた。
私は彼女の前で、弱音を吐いて泣いてました。
吐き出すようにボロ泣きしてたなー
「俺って、情けないよな…」
生活できないくらい無収入が続いた時は、金も借りた。
「俺、何してんだろう…」
「男として、情けなさすぎるだろ…」
生活も厳しく
いつまでも頼ってるわけにはいかないので
昼は派遣バイトを始めたりもしました。
とにかくなんでも良いから
生活費を稼がなきゃいけなかったので
ホテルのレストランスタッフでホール業務。
朝4時に起きて、始発に乗って、6時半から始業。
とにかく肉体労働。
バイト中、何度も思いました。
「社会人にもなって、バイトなんか…情けない」
「親とか彼女とか、恥ずかしいと思ってないかな」
周りは就職して、社会人として安定していくし
結婚して、昇進して。
なんかすごく社会に置いていかれる感じがマジで虚無でしたわ。
一方で私は
・稼げてない
・先も見えない
・プライドだけ高い
ただの痛い奴です。
バイト終わって、
家のベッドでゴロゴロしてた時、何度も思いました。
「普通に就職した方が、マシだったんじゃないか」
でも、それでも会社員には戻れなかった。
スポーツをやっていた頃、
負けた試合のあとでも、次の練習には行っていた。
悔しくても、自信がなくても。
その感覚だけが、私を支えていました。
ただ、この時点では、まだ答えは出ていません。
努力はしている。でも、努力の方向が分からない。
そんなある日、Xを見ていたら、
情報商材のクローザー募集の投稿が目に入りました。
「今までの経験が活かせるかもしれない」
そう思ってすぐにDMを送り始めました。
「セールスって、確かに大事だよな」
そう思ったし、
情報商材を売って年間数億円規模の会社になってる戦略の裏側を
実際に見てみたかった。
そして私はホテルのバイトを辞め
気づいたら営業に夢中になってました
まあ実際には
「種銭稼いで、復活する」
そう思ってたので
もうやるしかなかったんです
1日5~7アポ組んで
1日14時間以上はZoomでひたすらセールスしてましたね
朝から晩まで、画面の前で
目がしわしわになるまで
とにかく話して、クロージングして。
実は、私は元々内向型に振り切ってて
コミュニケーションが大の苦手でした。
人と話すのが得意なタイプじゃないし
最初はマジで売れなかった。
20連続失注とか、普通にありましたよ笑
でも、話せるように努力したし、セールスを全力で学んだ結果
社内でダントツ1位になりました。
しかも、8ヶ月連続で1位。
1ヶ月で会社に2000万円くらいは着金させてましたね
安定して100万円稼いだりもしました。
オリンピック候補だった時以来の”1位”でした。
でも、正直、
どこか満たされなかった。
「俺、これをずっとやりたいのか?」
そんな違和感が、
ずっと心の奥に残っていました。
だから、その環境を手放しました。
また無収入に戻ったけど、
それでもやるしかないと思った。
そして私はコンテンツビジネスに、
もう一度挑戦することを決めました。
ここでまたまた人生の流れが一変してきます
マジで今思えばジェットコースターみたいな人生生きてるよな〜って
改めて思いますわ。笑
営業で復活!
しかしもう一度「無収入」に戻る決断をした
営業で結果を出し始めた頃
正直、生活はかなり楽になりました。
毎月、安定してお金が入るし
数字を出せば評価される。
周りのメンバーからも「すごいね」と言われる。
でも心の奥では、ずっと違和感がありました。
「これ、俺の人生か?」
売れていたのは事実です。
成約率も高かったし、数字も出していました。
でもそれは構造的に見ると
誰かのビジネスを、誰かの代わりに売っている
いわゆる歯車でしか無いなって。
そんなある日、
入籍して、奥さんとプチ旅行に行ったときのことです。
熱海のホテルの部屋で
私は正直に言いました。
「もう一回、コンテンツビジネスに挑戦したい」
奥さんは、黙って話を聞いてくれました。
当時の僕には、どうしても消えない未練がありました。
一度は挑戦して、
騙されて、放置されて、失敗した
私にとっては黒歴史の世界。
でも、営業を通して「大手で売る側の視点」
を初めて手に入れたことで、
ある考えが浮かんだんです。
「もう一回やれば、今度はいけるんじゃないか?」
というのも、
営業をやっていて
一つハッキリ分かったことがあったからです。
オンラインスクールは、
思っている以上に中身が薄いということ。
具体的には
・見せ方だけは派手
・売り方だけは立派
・でも中身が追いついていない
そして、大手になればなるほど、
やっていることは正直グレーでした。
実際に、お客さんの不満を直接、
何百件も聞きました。
「サポートがない」
「質問しても返ってこない」
「結局、何をすればいいか分からない」
その声を聞くたびに、思っていました。
「俺だったら、ちゃんと勝たせられるのに」
フロントで広告塔として立っている人ほど
実はマーケティングを理解していない。
それにこれ事実なんですが
本当に強い人間は、表に出ていない。
表に出ることなく裏で戦略を練り
数億円を生み出す構造を作ってるんですね
で、私はこのとき、確信しました。
「ここにニーズがあるなら、勝てる」
とはいえ、正直、怖かったです。
安定収入を手放す。
また無収入に戻る。
周りから見たら、意味不明な選択だと思います(笑)
でも今回は、以前とは違いました。
「今度は、行ける」
そう思えるだけの材料が、自分の中に揃っていました。
そして何より、
「誰かに支配される人生じゃなく、自分で舵を握る人生にしたい」
ここで逃げたら、一生後悔する。
そう思って、もう一度コンテンツビジネスの世界に戻りました。
結果から言います。
最初は、面白いくらい全然うまくいきませんでした。
稼ぐ系の商品を作りました。
というのもマネタイズ系のオンラインスクールを
自分で立ち上げようとしました。
でも、そもそも集客できない。
集客ができてプロモーションが滑ったときは
正直、かなりメンタルきましたねー
誰も買ってくれない。
営業で稼げていたからといって
コンテンツがすぐ売れるわけじゃありませんでした。
作っても売れない。
反応が薄い。
数字が伸びない。
しかも今回は、
もう言い訳ができない状況でした。
誰のせいにもできない。教えてくれる人もいない。
完全に、一人。
正直「俺、また人生の選択間違ってる?」
そう思い
不安で眠れない日も何度もありました。
でも、一つだけ、以前と決定的に違うことがありました。
それは、売る現場を知っていたこと。
だから、僕はマーケティングを死に物狂いで学び直しました。
流石に1人だと限界を感じていたので
コンサルに150万円を投資して、
何百時間も分析して、
ようやく、ある普遍の法則にたどり着きました。
「もし何者でもない個人が勝つんだったら、この戦略しかないよね」
大手は、絶対に教えていない。
そのマーケティングの法則を
自分のビジネスに落とし込みました。
商品設計を変え、
伝え方を変え、
売る流れを組み直しました。
もう既存の常識は捨てて
業界で正解とされるものの
真逆の価値観を取り入れて全ツッパしましたね
でもそれだけで
面白いくらいに数字が静かに上がり始めたんです
最初は月50万円。
次は100万円。
200万円。
300万円。
爆発的じゃないけど
確実に積み上がっていく感覚がありました。
そしてある月は
やっとこさ月収500万円を超えました
その時私は
芝公園のホテル ザ セレスティンにいました。

(夜嬉しくて奥さんとホテルで一緒にアルパカの安い赤ワインを飲んでた時の写真です笑)
ホテルのベットで
嘘じゃないよな?!と
漫画のようにほっぺを自分でビンタしながら
決済通知を確認したのを今でも覚えています笑
で奥さんに、泣きながら何通も喜びのLINEを送りましたね
「やっと…報われた」
「これで、終わったんだ」
呪いが解けた、そんな感覚でした。
派手な感情はありませんでした。
ただ一言。
「やっとここまで来た」
でも同時に、はっきり分かりました。
ああ、もう大丈夫だな。
ここで初めて、なぜ自分が勝てるようになったのかが明確になりました。
それは、ほとんどの人が知らない「ある原則」を理解したから。
才能でも、運でもありません。
で、自分で売れるようになった後
次にやりたくなったのは、
「他人を勝たせること」でした。
というのも営業をやっていた時
オンラインスクールで結果が出ない人を見るのが
正直、苦しかったんです。
「この人たち、悪いのは本人じゃない」
「教える側がレベルが低いだけだ」
そう思っていました。
『俺の身の回りの人で稼ぐ人を増やして、新たな経済圏を作ってやろう』
そう決めました。
事実オンラインスクールの多くは
フロントに立っている人からは教われません。
本当に重要なことは、裏側の設計にあります。
だから私は、裏方としてプロデュースに回りました。
結果が出ていなかったコンテンツホルダーさんの案件だと
恋愛
ダイエット
ビジネス
ライフハック
Etc…
という感じで
裏方入らせていただいて
仕組み作ったり、戦略組んだり
結果が出た際には
一緒にシャンパン飲み明かしたりと
多くの人間ドラマを体験させていただきました
そして気づけばみんな、
一人社長で年商1000万〜6000万円規模のスモールビジネスを作るようになっていました。
そのとき私は確信しました。
「これは、仕事になる」
表に立つより、裏で設計して
数字を作る方が圧倒的に面白い。
だからこそ今度は、
過去の僕と同じように、夢を諦めきれずにもがいている人を、救いたい。
そう思って今このように
情報発信をさせていただいているわけです。
もう一度、人生を本気で立て直したい人へ
もし今、あなたが、
「このままじゃ終われない」
「もう一度、ちゃんとやり直したい」
そう思っているなら、
それだけで十分です。
私は、オリンピック候補だったけど、
落選して、何者にもなれなかった。
50万円払って騙されて、
80万円リボ払いで借金して、
貯金700円になった。
彼女の前でボロ泣きして、派遣バイトで朝4時に起きて、
ホテルのホールで働いた。
でも、諦めなかった。
営業で8ヶ月連続1位を取って、
またゼロに戻って、
マーケティングに150万円投資して、
月収500万円を超えた。
裏側からでも、遠回りでも、確実に勝てる道を見つけた。
そして今度は、あなたを勝たせたい
夢があったのに、何者にもなれなかった人。
一度挑戦して、失敗して、自信を失った人。
「本当は、まだ諦めきれていない人。」
私が証明したいのは、
「何者でもない個人が、ゼロから勝てる」ということです。
私には、明確な目標があります。
年商1200万円を出す人を、10名輩出すること。
年商1200万円 = 月収100万円。
この金額があれば、人は自分の人生の舵を握れる。
勝てる経験を掴んで、勝ち癖をつけて、
資本主義を楽しめるようになってほしい。
年収1000万円超えは、日本の上位5%です。
業界でも、0から年商1000万円超えを出すのは、ガチで難しい。
だからこそ、俺はトライしたい。
そして、その先に、僕が描いている世界があります。
それぞれのジャンルにおけるプロ集団を集めて、
新たな経済圏を作ること。
大手オンラインスクールを追い抜きたい。
革命を起こしたい。
痛いかもしれないけど、俺は本気です。
利害関係を共にできる仲間と、
会社を作って、
海外を回って、
人生を面白くしたりもゆくゆくは本気叶えたいと思ってます。
人生一度きりだし、
大人になると人間関係も狭くなる。
だから、ガンガンみんなで力をつけて、稼いで、
人生やり切りたい。
何者かにだってなりたいじゃないですか!!!!
経済的自由も、時間的自由も、全部手に入れたい。
復讐したっていい。
一回きりの人生、やり切った方が楽しいからね!
ゼロから人生を変えましょう。
そして、一緒に革命を起こしましょう。
あなたが、一人でも経済的に豊かになってくれること。
そして、自分の人生の舵を、自分で握れるようになること。
それを願って、これからも情報発信を続けていきます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
終わり!!!


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